2011年03月29日

TBS-TV 金八先生ファイナル

いろいろ疲れ果てる毎日ですし
その日は旅先でフジの歌番組見ていましたから
金八先生ファイナルはHDDに録画しておき
CMすっ飛ばして本日3人で拝見しました。

当時から毀誉褒貶というか
好き嫌いの分かれるドラマでした。
私は正直いい視聴者ではなかったし
同業者と言うこともあって
影響されすぎるのも嫌だし
脚本のないアドリブの本業ですから
「私にも台詞をくれ!」と叫びたくもなるし
やっぱりハマって泣いてしまうのも嫌だったのが
まあ、正直なところでしょう。

一番熱心に見ていたのは小ねこがそういう年になって
共感していた八乙女光くんの覚せい剤事件のシリーズでした。
「腐ったミカン」のターンは
中島みゆきさんの「世情」で泣きました。

小山内美江子さんの脚本、と言っていいのか、
とにかくその時代の若者の「生態」を
常に的確に描いていた点は評価されるべきでしょう。
ツッパリの頃。
学級崩壊の頃。
少年少女Aの頃。
社会的弱者の頃。
そして今回のファイナルの中3は他人に無関心。

今回のメインは2つあって
1つは大人を信じられなくなった暴力少年の改心と、
もう1つは金八さんの卒業式でした。
卒業式のほうは、「まとめ」としてOKとして。
暴力少年の改心の過程はまあドラマ的にうなずけるとして。
問題は、肝心の3Bのメンバーの影の薄さでしょう。
ドラマ上の時間的な問題だと思う方は
捕らえが甘いです。
これが現実の子ども達の姿だと私は逆に感心していました。

金八さんの「悪は自分の心にあるんだ」程度の
「説教」で改善されるのは決して「あっさり過ぎる」のでなく
現実の若者たちも確かにその程度で
「改心」してしまいます。
彼らは今何故か、とても幼稚で、
それでいて、とても「真実」に遠くなっているので
しっかりしたオトナが今回の金八さんレベルの話を
きちんと向き合って話せば、
実際こうなるのです。
現場にいる人間から見ても
こういう程度のことで「あれ、本当に分かっちゃったわけ?」
と拍子抜けする事が多いんです。

昔の子はもっとややこしかったし、
複雑な心を持っていましたね。
だんだん「単純化」しているような。

ということは
やはりもう、金八先生は
必要がないということなのかもしれません。

芝居の域を超えて、泣いておられました。
武田鉄矢さんの中の「金八先生」が、でしょう。
フィクションとノンフィクションのギリギリのラインで
このドラマは成立していました。
ノンフィクションがフィクション化しつつある現代、
携帯やゲームやPCなど、2次元の世界が横溢する中で
呼吸をする子ども達には
じつはもっともっと「金八先生」は必要でしょう。
いや、子ども達だけはなく、
「教師」にも、「親」にも、です。
むしろ、そちら側のほうに緊急に必要かもしれません。
子ども達の「薄さ」は
もしかしたら「教師」「親」のそれが伝染したに過ぎないのかも。

だから
「金八かよ。だっせー」って言ってるのは
意外とオトナではありませんかね?

でも、そのオトナもかつては生徒だったはず。
思い出せよ!お前もそうだっただろ!おいってば!
子ども達の事、オトナとして守れよ!
人としての部分、忘れんなよな!!

このドラマはそちらに向けたメッセージと
とれば、なるほど納得であります。
この震災ですら
どっかの都知事の言う意味とは違って
オトナが今一度奮起するため、
正しい事がなんだったかを思い出すための、
「やり直し」の警鐘だったかもしれません。
寄り添う事、人が人を愛おしく思うことは
絶対に不易であるはずですから。

posted by 大ねこ at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽・映画・芝居などの鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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