2017年01月21日

高村薫「土の記 下」(新潮社)

高村薫さん、最後の1ページって
必要だったんですか?
読み終わる寸前の崩壊感にしばし茫然です。
中島みゆきさんの歌に「あり、か」がありますが、
まさにそんなのありか、です。
高村薫さん、でもこの1ページのために書きましたね。
悲しすぎるこの結末のために。

私、茫然とした中で一瞬に思いました。
私たち人間の残酷さを。
ニュースに流れる多くの情報は他人事。
聞き流して終わる。
もちろんマジに関わっていたら
鬱になってしまう。
だから私たちは忘却するようにできている。
斉藤和義さんの最近のアルバムにも
「時が経てば」という歌もあります。
それらが一瞬のうちにばあーっと浮かびました。
ちょうど伊佐夫自身が、東日本大震災の時に
どこか他人事だったように。
軽い脳梗塞も起こし、老齢を感じつつ
にわか農夫として、亡き妻の妹久代に
愛されつつ照れている男として、
天寿を全うしようとしていた時に、
まさか自分が天災に見舞われるとは。
私たちも、いつどこで何が起こり
襲われるかわからない暗示。

人は卑小であること。
その癖、生ある限り命を育み続けること。
些細なことに一喜一憂して、
大きな出来事に関心を持たないふりをして。

帯に
始まりも終わりもない果てしない
生命のポリフォニー、とあります。
読み終えて
その文言がズシンと土の塊となって
私の心に降りてきたのでした。

憎しみも喜びも
奈良の土地に埋め込み
人々と関わって鯰やトイプードルと関わって、
家族とは支えなのか不要なものなのか、
答えも出さないし出せないまま、
ボケて行く己の脳髄と闘いながら、
伊佐夫は私の前から去りました。

ああああ〜〜んって叫びたくなるのでした。

重い読後感。
なのにどこか爽やかなのでした。
多分、伊佐夫は生き切ったと
思いたいからでしょう。
posted by 大ねこ at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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