2018年08月30日

中山七里「テミスの剣」(文藝春秋)

渡瀬刑事の、
いかにして渡瀬は渡瀬となりえたか、
の話。
いつも通り、県警や検察、弁護士の
腐食部分を壮大に展開。
昭和59年の殺人事件で、若い渡瀬が
鳴海という戦前特高を彷彿させる
検挙率トップの刑事のバディで
冤罪事件をでっち上げることに
加担したことが、彼の贖罪の原型。

やがて時が経ち、平成元年の事件で
その時の真犯人が別件逮捕。
さらに、平成24年、その男が模範囚として
出所後、すぐ殺害される。
怨念の連鎖と、もう一つの軸に
「組織と保身」、それらを繋ぐ大きな軸が
正義と暴力、テミスの天秤と剣。

実質的な結果は殺し、猜疑、悲痛、悲憤、
呪詛、苦悩、懊悩、の結果なので
読み手も納得できないまでも
あるあるで気持ちは落ちる。
しかし、いわゆるどんでん返しの方の
組織側のもう一つの結果は
渡瀬自身の冤、でもあろうと。

この話には「静おばあちゃん」の
現職時代も登場。
円のパートナー、葛城君もさりげなく登場。
エピローグが小粋です。
こういう手練れた表現が中山作品真骨頂。

読む側としては
誰が正義の味方で誰が裏切り者か
組織側を読む時はそこを推理するのも
おもしろいかもです。

例によっていくつかの名言抜粋。
「混乱していますが、きっと相談したかった
のだと思います。直接冤罪を作った末端の人間が、
最終的な判断を下した法の番人に、です」
(高円寺静へ渡瀬が問いかけるシーン)
「法の女神テミスが右手に掲げた剣。
法の権力を象徴し、咎人を切り刻む
ために振るわれる剣。その剣が今や、
法を執行していた者に向けられている。
もっと早くに気づくべきだった。
無辜の者を死に追いやった時点で、
静たち自身が咎人に堕ちていたのだ」
「この若者は太陽の方向に
真直ぐ伸びる資質を持ち合わせている。
裁判官人生の終わりに、この若者に
巡り合えたことはそれこそ
法の女神の思し召しかもしれなかった」

昔からの組織犬とのやりとりから。
「いい気になったことなd、一度もない。…
高みから見下ろした覚えもない。…
渡瀬は光を求めた。真実の光。
残酷かも知れないが、全ての
迷える者を導く光を。……
俺はあんたよりも罪深いのだから」
posted by 大ねこ at 09:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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